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メンヘラゴリラのにっき

ポセマニュ子の承認欲求を満たすためのブログ

ゴリラの記憶 ~妄想編~

お題「誰にも信じてもらえない体験」

 

今晩は。
最近まともな文章を書けてなかったから、ちゃんとしたいわ。
(いつも支離滅裂の癖にね)
以下の文章は、ただの長文、きっとメンヘラの妄想小説です。

 

幼いころ、私には叔父がいた(筈)。
父とは兄弟にしては、随分と年が離れていたように思う。
私にとっては少し年の離れたお兄さんのようなものだったわ。
青白い私とは違って、陶器のような白い肌と、軽薄そうなコーラルの唇が印象に残るお顔だった。白くて、華奢な手をしていたわ。
近寄りがたい雰囲気を纏っていた叔父さんは、意外にも気さくに私の子守をしてくれたわ。祖父さんの本に振り仮名を書き込んで読み聞かせてくれたり、ピアノを弾いてくれたり。
両親は共働きだったし、祖父母も当時は現役で働いていたから留守が多かった。
両親は居なかったが、よぼよぼの曾お祖母さんと、そのお世話をしてくれる家政婦さんやクリーニングの人、お父さんの仕事のお弟子さんなんかがときどき出入りしていた。
忙しい大人とは違ったであろう、叔父さんに遊んでもらうことは度々あった。

よく覚えているのは、祖父さんの辞書を何ページか破いてくすねてくるようにお使いを頼まれたこと。幼いながらに罪悪感を感じながらも、びりびり毟り取って叔父さんに渡した。
叔父さんは不良にも煙草を嗜んでいたみたいだ。
私にお使いさせた辞書の紙に、缶入りの細かく刻まれた、御焼香のような煙草の葉をこんもり乗せて、くるくる巻き、紙の端をペロッと舐めて良く見る形状にした。
見向きもされん紙も使って貰ったほうが嬉しいやろ、とは叔父さんの詭弁だったのは明らかだが、今になって考えてみると案外的を得ていたのかもしれない。
華奢な指で辞書煙草を摘み、薄い唇に咥えている姿は綺麗だったんだけど、どこか焦燥感のようなものがあったように思う。


 祖父さんの新仏和中辞典(白水社52年版)は、中に詰められた煙草と一緒に煙になった。お父さんの吸ってたマイルドセブンとは違って、紙の燃える焦げ臭さのなかに、香辛料のような甘い匂いがした。
毟り取られ、ところどころ間の抜けた新仏和中辞典は今も、本来の用途で使われることなく、オブジェとして私の本棚にある。

私が10歳になるかならないかの頃から、叔父さんは家に来なくなった。
12歳の時、祖父さんが死んだんだけど、その葬式にすら顔を出さなかった。
祖母や父母も叔父さんに関して誰も言及しないし、不良だから追い出されて、何かの反発心で家に帰らないものなんだと思っていた。

で、祖父さんの49日が済んだ頃、何となくお母さんに叔父さんについて尋ねてみた。父に弟なんていなかったことが判明した。
小さかったから、父のお弟子さんを叔父だと思い込んでたんじゃないか、とのこと。
お弟子さんは、2~3年修行したら独立していくので、ずっと同じ人なわけがない。
顔も、祖父さんの若い頃の写真に似ていたし、いつも気づくと家に居たから、当然叔父さんなんだと思っていた。
父が会合で撮ったであろう写真を捲ってみても、あの白くて軽薄な顔は見つからない。
あれは一体誰だったのか。

叔父さんは、私の記憶を混同して作り上げた、私にとって都合の良い妄想。
イマジナリーフレンドというやつだったのかもしれない。
もしかしたら祖父さんが外に作った私生児で、現実に叔父さんは存在していたのかもしれない。現実だったのか妄想だったのかは、現在確かめようがない。