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メンヘラゴリラのにっき

ポセマニュ子の承認欲求を満たすためのブログ

とある園芸家の娘の主張

うちのネモフィラはなかなか枯れない。いつになったら枯れるのか。

 

 

水をやらなくても、周囲に根を張り、人型に貢がせることで、日当たりの良い窓辺でも干枯らびることなく、しぶとく生きている。
ネモフィラからは細長い枝が数本伸びていて、だらりと垂れている。

植物を嫌うことを批難される世の中なんて、北からの発射物で一夜にして消えちゃえば良いのに。

 

テレビでは植物にも社会参画する権利を!だなんて声高に主張してるけど、花屋の娘にしてみれば傍迷惑でしかない。

園芸家の両親を持つ娘の癖に、親の義務(趣味というのはなんだか変な気もする)を見下しているのだ。

主張する小芥子たちは何かを勘違いしているようだ。小芥子も、ある意味では植物であると言えるが、小芥子は小芥子に過ぎない。人型に近いのだ。何より、小芥子は人型と言葉を交わせる場合が多い。

 

小芥子と植物の関係は、人型と植物の差と比較すれば近しいかもしれないが、決定的に違うのだ。

真の植物は、人型を保っている種類もいる。

そういった種類の植物は、自身が植物だという認識を持たずに生きている場合も多い。

元来から、小芥子は人型との区別が付きやすかったが、科学の進歩によって人型に紛れた植物の選別もより正確になってきた。

 

成人してから、自分は植物だった、という事実を受け入れるのを苦労する個体も多いようだ。

植物と人型は、意思の疎通が困難である、というのが私の持論よ。

世間の小芥子のほとんどは自分が植物だと誤認していることが多いから、話が拗れるのよ、それを伝えると名誉毀損だ!とかなんとか言い出す可能性大ね。

人型の方も、人型と小芥子と植物を分類の基準を理解していない不届き者が多いように思う。まあ、普通に生きていて生涯、植物を目の当たりにすることがない人型の多いことも事実よ。

 

厄介なのが、植物愛護の精神を持つ人型の宗教団体ね。宗教を熱心に信仰していなくても、なんとなく神様はいるのよ、ってニュアンスで植物には優しくしましょうね、って潜在意識の人型のなんと多いこと。

杏ちゃんのお家は大変ね、なんていう近所の人型も嫌いだ。薔薇さんはしっかり者だから手伝ってくれ、なんて言う担任の人型も嫌い。杏はお姉ちゃんだから優しいわね、なんて言う人型の両親も嫌い、皆大っ嫌い。

"私だって自分の好きなように生きたい"なんて言う人型の妹。私の人型の妹、苺。

 

苺は私の5つ下の妹だ。

ネモフィラの栽培に忙しい両親が、私に見繕ってくれた人型だ。

私はこれを、自分の妹、娘、友達のように扱った。女が一生の間に、同性に注ぐであろう感情を、私が持つ限り与えた。

愛惜、慈悲、妬み、羨望、怒り、憐れみ、執着。

苺は割と活発というか、優しいのだが、すぐに手が出るところがあった。私はそれを甘受することで愛情を示した。共依存というやつだったのだろう。

苺も大人になってきて、外界に自分の席を多く持つようになった。手を出されることは無くなった。しかしそれは同時に、私に向けられる強烈で、剥き出しの感情も無くなってしまったということでもあった。

苺は来年の今頃には巴里へ旅立つのだという。

すっかり穏やかになってしまった人型は、もう二度と強烈な感情を供給してはくれない。私はまた満たされなくなってしまった。

 

どうか、ネモフィラへ向けられる光源を遮断したい、という願望を抱くことだけでもお許しください。

それから、お医者様。人型の私にKCLを投与して頂けないでしょうか。苦しいのは充分存じています、でももうそれ以上に苦しいのです。

 

植物を嫌おうとするのも、もう嫌気がさすのです。

孤独でも生きていける人型の癖に、人型に依存しなければ生きた心地がしない。

匿名ブログですら身バレを恐れて、完全に暴露することのできない自分にも。